I-feelin'/アイフィーリン の日記
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コミュニティ
2018.03.30
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コミュニティ。
先日友人と個とコミュニティに関する議論をした。
人が生まれてと言うより動物世界の中でも特定の動物だけがコミュニティを作る。
それは単体で生きて行く事の出来ない生物の生存本能だと思います。
子孫を残す為には相手が必要で、そのファミリーを守るにはファミリーの集合体が必要で、
外敵を守る事とそれぞれの役割を全うしながら生きていく。
それが本来のコミュニティの姿なのだと思うが、現代は少々違う。
俺はひとりでも生きていけると言う事を度々聞くが、なら裸で何ももたず着ずジャングルでも無人島でも行って暮らせば良い。
だがそのジャングルや島が国に管理されている現代では税金等は発生する。
また、裸ならば衣食住全て材料を採取する事から作る事まで全てが必要であるし、むしろその生きる知識(教育等)を与えたのは誰だ?と言う本末転倒な事になる。
今、現代社会で生活が出来ているのはその生活を他人が与えてくれているに過ぎず、それを己の力と考えるのは実に浅はかだし基本となるコミュニティ(生活の為)があるからその様な事が言えるのだろう。
人が文明と言うものを持った瞬間から既に一人では生きていけない事を知ってしまったのに。
今に目を向けて見るとネットが発達し仮想空間上にありとあらゆるコミュニティが存在し、果てはそこに存続している事が苦痛だったり、またはコミュニティの中にさらに派閥と言うコミュニティが出来てしまう始末。
結果コミュニティ同士の喧嘩が始まる。
正しく現代ではコミュニティは飽和状態でこれ以上のコミュニティはいらないと考える。
むしろ縮小淘汰されるべきだろう。
その中で本当に必要とされるコミュニティは自然と残るだろうし、既にコミュニティと言う概念も古いのかも知れない。
個が、それぞれの立場を共有共感し、あるゆる事を認知認識理解了承するならば、多くのコミュニティは不要であり、それはある意味無駄な物は削ぎ落とす事になるだろうと考える。
車の事に当てはめるならば、個が成熟し社会的認知の元の行動をとるならイベント等では規約は最低限になり(むしろ不要)、またメーカーへの認知協力も自然に行えるだろうし、生産中止車の部品に困っているならば自然とメーカーと共感共有協力が出来るのでは思う。
もちろんこの事はメーカーとオーナーだけではなくお店にも言える事。
好きな車を作ってくれたメーカー、その車を購入してくれたオーナー、その車を整備するお店。
この3つがお互いに敬意を払って認知認識理解了承の共有が出来るならば旧態然としたコミュニティはいらないと言う事になる。
そうなれば今起きているコミュニティ同士の対立等正しく無駄である。
我々は既に国と言うコミュニティに国民として属し、県民市民として属し、会社や店舗に属しているのでそれ以外はむしろ趣味趣向のコミュニティなのだから、そこに無理して負担や責任を背負って入る必要は全く無いし、わさわざ首など突っ込む必要は無い。
そうなるとお互いが敬意を払って認知認識理解了承の共有が出来る場(双方向ではなく単方向)があれば良いだけである。(双方向は既に多くのコミュがある)
身近な所だとフェイスブックは実に閉鎖的なコミュニティではあるけれど、ある程度敬意を払って認知認識理解了承の共有が出来る場にはなっているのだが、昨今はあまりにもコミュニティが多すぎる。
ツイッターは、ほとんどが個の戦い(言い争い)でそこには敬意を払って認知認識理解了承の共有が出来る場になるには程遠く、その様な事は望めない場であると感じる。
自浄作用があまり働かない場なので、この先ツイッターをしている事自体が恥ずかしくなったとするならば自然と消滅するだろう。
ラインもコミュニティ、グループの乱立が酷すぎる。
みんカラは既に終を迎えている様に思う。
そう考えると新たな場(単方向)をやはり作ると言う事を考えなくてはならないのかなと考えるがこれはこれで問題も多くある。
ただ、個が今すぐに出来る事はあってそれは他に対して敬意を払って認知認識理解了承の共有をする事。
これはすぐにでも始められ一銭も時間も掛からない。
メリット?
絶対では無いが、少なくとも貴方も同じ様に思って貰えます。(貴方の存在は社会に必要であると)
デメリット?
思わなければ完全に趣味趣向においてはボッチ。
そんなボッチが例えばツイッターにつぶやくのでも電気を作る人、送電する人、施設を管理する人、サイトを運営する会社、管理する人、実に多くの人の行動で呟けるって事だけは忘れてはいけません。
忘れたら?
会社がSNSを閉鎖したり、ルール変えたらつぶやく事等が出来無くなります。
その様に考えるとコミュニティやSNS等は今後大きな変化が求められているのかも知れないと思いました。
どの様な状況環境であれ周りの時間は常に前に進んでおり、時代と共に変化や淘汰されて今があるとするならば、先を見据えた今を考えて行動する事こそがあるゆる局面を打破出来る事になるのではないかと思いました。